父のがん闘病記20 ~誤嚥性肺炎の恐ろしさ~
2021年11月11日
こんにちは。
俳優の遠藤です。
しばらくは安心だと気を抜いていたところに施設から連絡がありました。
ところが、ホッとしたのも長くは続かなかった。7月18日の朝に、まさかの誤嚥を起こした。
ブロッコリーの小指の第一関節くらいの小さいものでした。すぐに吸引していただいたし、一度危険な数値に落ちたが、正常値に戻ったのですが、38・3分まで上がり、痰も止まらなくなった。看護師が18時に帰ってしまうので、痰を吸引できないと命に関わるということで、石心会病院へ緊急搬送となった。その夜に入院手続きに行きました。竹川さんが救急車では付き添ってくれ、井上さんが竹川さんを迎えに来ていました。父がPCRなど複数の検査を終えて、父に会いました。薫がなんたら・・・と理解できないことを言っていて、認知症がすすんでいるなあとガックリもしたのですが、それでも苦しい様子もなく、比較的元気で、その点はホッとした。ようやく入院手続きをして、とにかく病院にあまり置きたくなかったので、早く退院させたかった。施設と違って孤独の時間が多いし、認知症も進んでしまうためです。痰さえ止まれば、すぐ退院できるとおもいました。
ところが、飲み込みが悪いということで、飲み込みの映像を撮って見ると、ミキサー食でも喉の奥に食べ物が少し残るということ。
転院してリハビリも提案されましたが、高齢だけに確実に治るとは、言い切れず、
また誤嚥を起こすリスクを覚悟できるなら退院してもよいということで、
これ以上、病院には置きたくなかったので、施設に懇願して、施設に戻していただくことにした。結局、18日に入院して、30日に退院となった。
7月30日(金)父が退院しました。誤嚥性肺炎で入院したため、病院ではほとんど口から食べられなかったし、点滴で栄養補給。
また痩せてしまいました。想像以上でした。
目はどんよりとして、認知症が進んでいます。施設の方から父の介護保険証と介護保険負担割合証が今月で切れるため、新しいのを持ってきてくれと言われましたが、負担割合証が見当たらず・・・
仕方ないので、市役所に再発行をしてもらい、施設に届けました。ちょうど夕食の時間で、父も食事をしていました。
病院ではゼリーとかとろみの付いた液体しか与えられず、体がよりやせ細った父。点滴では栄養がしっかり取れるはずがない。病院に置いといたら具合は悪くなるばかりだったと思います。
病院側としては食べさせることがリスクになるので、点滴で栄養を摂取させていました。当然、必要なエネルギーには足らないんです。痩せるのが当たり前です。
車で施設に送るときに、父がおにぎり一個食べたいと言ってきたのですが、誤嚥の危険性が極めて高いため、却下。
安全に食べられるんならいつでも買ってあげるけど、今はそうじゃない。仕方なく諦めさせました。
認知症が進み、何に対してなのかわかりませんでしたが「悔しい・・・」と言っていたのですが、病院側の対応に納得行かないという意味だったのではないかと推測しています。
自分に対する悔しさもあったに違いありません。
かわいそうに、この暑いのに、寒いと言ってズボン下を2枚履いていました。低体温です。免疫が下がっているんです。
抗がん剤で体力を奪われ、誤嚥で一番の楽しみの食事まで我慢させなくてはいけなかったのは辛かったです。
しかし、保険証を届けに行った時、施設ではミキサー食ではありましたが、主食は全部食べ、副菜も8割食べたということでよかったです。
口からしっかり食べて、スタミナを付けて、免疫力を上げて、
秋までに体を45キロを目標に回復させよう。
著:遠藤章史
ナレーションを中心に芸能の仕事をさせていただいています。昨年から自宅録音での納品もしており、朗読、ナレーション、YouTubeやツイッターやブログ、フェイスブックなどのSNSでも発信中。父の膀胱がんが発覚してから様々な意見を取り入れながら思案・行動してます。父は認知症も患っており、排泄の粗相や、夜中と早朝の徘徊、時間に関係なく、人を呼ぶようになり、自宅での介護を断念。ショートステイを繰り返していましたが、現在は老人介護保険施設に入居しております。父の体力の回復、ガンと、どううまく付き合っていかせるかを模索中の毎日です。