父のがん闘病記14 ~確実に認知症が進んでいった父~
2021年9月23日
こんにちは。
木曜日担当の声優の遠藤です。
都内の病院で放射線治療を受ける父。しかし、5月24日(月)にJCHO新宿メディカルセンターより連絡があり、放射線治療をすると頻尿になるというのは聞いていましたが、失禁(大までも)が半端なく20枚のおむつはすべて使い果たし、寝間着やズボン下も合わせて12枚はあったのですが、きれいなものと汚いものを混ぜるなど使い物にならなくなったとのこと。上履きも汚してしまい、購入させざるをえなかったという。信じられませんが事実です。認知症は確実に進んでいたのです。
以下は日記から引用します。
6月2日(水)父が退院。この日は散歩しないとどんどん足腰が弱くなって歩けなくなるよという言葉が効いたのか、一度かったるいといって拒否したが、その後フラッと起きだして、玄関に行くので、どこに行くの?と聞くと、散歩に行くと答えたので、外に連れ出しました。しかし、残念ながら西濃運輸の大きな駐車場を以前は一周はできていましたが、1/4くらいで、ふらついてしまい引き返しました。入院していたこともあり、足腰は確実に弱くなっています。そのあとに、妹がちょうど家を訪ねてきてくれて、相手をしてくれました。しかし、妹が帰ると、結局はベッドに横になって寝てしまう。寝ないように介護ベッドの角度を75度まで上げてもダメ。趣味も、考えることも、最近はテレビを見ることさえもしなくなっています。これでは確実に体が悪くなるのは目に見えています。自分をコントロールできないし、人の話もまともに聞けない。寿命が近いということを示しているのだと感じています。
そして、帰ってきた初日からやらかしてくれました。
朝の4時台におーい!と呼ぶ声。
とりあえず、まと始まったと思い、無視して寝続けました。
私は直近の作成時間の少ない仕事があったからです。
5時ちょっと前に、トイレも行きたかったし、新聞に目を通さねばなりませんでしたので、起きました。
すると、父がトイレにいて、様子をみると、オムツにべっとり茶色いものがついており、
そればかりか、なぜか寝巻きのお尻の部分にもベッタリ•••
しかも、ハサミをわざわざ持ってきて、オムツだけ切っている。ビニール袋に、そのオムツを入れていました。溜め息しか出ません。
この時点で、一人で対処するのは無理と判断、母には申し訳なかったけど、起こしました。
父はなぜか下を汚すと、上も脱ぐ癖があるのですが、とりあえず、汚い寝巻きを脱がせようとすると、スッポンポンになっちゃうと。脱がなきゃ汚いだろと!
きれいにしなきゃいけないのに、言うことは聞かないし、一体何をやっていたのか、逆に想像がつかない。お尻まわりにもベットリ。ここで、後は母にバトンタッチ。
今頃はもうショートステイに出かけてるので、帰ってから安心して仕事をします。
ドタバタの朝の始まりでした。
6月9日(水)朝の7:40に、3日からつつじの園にショートステイをしている父を迎えに行き、石心会病院へ、二度目の抗がん剤、キイトルーダの投与。血がなかなか取れず、時間がかった。JCHO新宿メディアセンターと同じく、ベテランが登場すると一発で取れるという悪いパターン。
そして、かなり待たされた後、血液検査の結果が出て、林先生(この日は代理の先生)の話がはじまった。
父をショートステイに出すためには、今の健康状態を把握して、ある程度、元気であること、急変の恐れの少ないことを証明できないと、ケアマネージャーに言われていたので、余命と今後の展望を伺った。
進行が早いので、もしも抗がん剤を打てなくなった場合、余命は半年というジャッジだった。なので、その場合、看護師がついて、緊急の場合も対処できるホスピスを、どのタイミングて予約すればいいのかを、次回の主治医の話を聞くこととなった。
しかし、そのままキイトルーダを打つことができる体ならば、数年は生きるという結論。しかし、これも怪しいもの。ちゃんと食事療法をし、運動もできるようになれば、飛躍的に体が回復する可能性はある。
テラヘルス水とヒポクラテススープは強力な味方になってくれるはずだ。
抗がん剤を投与したあとも、特に体調の変化は見られなかったのでよかった。
13時に父をつつじの園に返し、ようやく自宅で母とゆっくりできるかと思いきや、
保険の請求書を書くのに時間を取られ、まるでゆっくりできず、昼寝もできず、めっちゃ眠いです。これからどうやって行くか。金銭的な大きな問題も抱え、頭を痛めている。
全くこの頃は、父がいると毎日が戦争のようになってしまっていました。
著:遠藤章史
ナレーションを中心に芸能の仕事をさせていただいています。昨年から自宅録音での納品もしており、朗読、ナレーション、YouTubeやツイッターやブログ、フェイスブックなどのSNSでも発信中。父の膀胱がんが発覚してから様々な意見を取り入れながら思案・行動してます。父は認知症も患っており、排泄の粗相や、夜中と早朝の徘徊、時間に関係なく、人を呼ぶようになり、自宅での介護を断念。ショートステイを繰り返していましたが、現在は老人介護保険施設に入居しております。父の体力の回復、ガンと、どううまく付き合っていかせるかを模索中の毎日です。