妻のがん体験記【あるあるその6】~出費の裏には当然必要なものがある③~

2021年11月15日

こんにちは。月曜日担当のホーリーです。

前回までのお話はこちらから

 

 

「善意」という言葉を調べてみると、面白いことに気付きました。

 

この言葉の類語を調べてみたところ、まずその意義素というものが分かれることを知ります。

 

意義素とは、言語学で使われる用語のようで、一定の形態に対応する意味上のまとまり、だそうです。と言ってもあまりピンと来ないのが正直なところですが、言い方を変えれば、

シチュエーションや文脈など、影響を与えそうなものを取り除いたあとに残る、その言葉固有の意味、ということになります。空気を読まず単純にその言葉の意味だけを考えた場合、といった感じでしょうか。

 

では、「善意」という言葉の意義素はどの様に分かれるのか。

 

①は、『親切心と思い遣りのある傾向』、だそうです。この意義素に関する類語を挙げると、『恩情』、『厚意』、『恩恵』、『慈悲』、『御蔭』など。

 

②は、『互いに助け合う心のこと』。その類語は、『チャリティー』、『ボランティア精神』、『相互扶助の心』等。

 

そして③は、『正直な意図を持つこと』、だそうです。類語は2つ、『誠意』と『実』。

 

我々が単純に思う、『善意』の意味って、やはり①なのではないでしょうか。これ自体に何の異議もありませんし、悪いことではない。いや、寧ろ他人から称賛されてよいことだと言えるでしょう。そして私の妻の前に現れた人達の『善意』の多くも、この中に含まれているのだと思います。

 

一見有難そうな、でも何かザラっとくる。

その違和感の謎は、類語の並びを見た時に解けました。

 

そのほとんどが、目上のものから差し出される救いの手、的な意味合いなのです。意義素としては何の意図もない、しかしその時のシチュエーション、使う人間の出している空気はそこに強く影響するから、ザラっとくるのです。

 

病気の人間はおとなしく、しおらしくしているべきであり、健常者の施しを受け、それを感謝して慎ましく生きるべきであると、そう言われているのと同じなのです。これは大袈裟ではなく、その様なものを感じ取った人達は無数におり、多かれ少なかれ皆苦しめられているのです。

 

本来は②であるべきでしょう。互いに助け合い、足りない部分を補い合う。

それが難しいにしても、それならせめて、③であってほしい。

 

心配はしているがどう接して良いかが分からない。それでも正直な心で向き合おうとしてくれるなら、そのことは伝わりますから。まあ、自分が偉そうに言えることではないのですが。

 

著:ホーリー  乳がんの妻を持つ地方公務員

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