妻のがん体験記【あるあるその4の④】治療中であることを改めて思い知る

2021年9月13日

おはようございます。
ホーリーです。

前回までのお話はこちらから

 

 

足がしんどくなってから、外に出ることが辛くなり、それはそのまま治療の負担として彼女の身に降りかかってくることとなりました。

 

妻の通っていた病院は、自宅から結構離れた場所にありました。といっても、バスに乗り、電車を2つ乗り継ぐというくらいの、それまでの彼女の行動力で考えればどうということもない距離です。

 

しかし、足の感覚がない状態で、歩くこと、運転中のバスの中で立っていること、電車のつり革につかまり続けること、その全てがしんどい。座席が空いているならまだいいのですが、空いていない時はどれほどしんどくても誰も席を譲ってはくれない。ヘルプマークをバッグにぶら下げてみても、気づいてくれる人もほとんどおらず、目に入ったとしても認識されていないのか、あるいは見て見ぬふりなのか。

 

私も、妻の足が感覚がない、痺れているということは漠然としか認識していませんでした。これは後日、妻から聞かされて初めて知ったことですが、その感覚を具体的に例えようとするなら、

 

「足先に大きな肉球が付いていて、それをずっと踏んでいるかのような感覚」

 

または、

 

「1時間以上我慢し続けて正座した後、立って歩かされている状態」

 

だそうです。1つめの例えはあまりピンときませんでしたが、2つめの例えは想像するに容易く伝わりやすいと思いました。それと同時に、その状態で常に歩かなければならないと考えたら、自分もやはり歩くことがとても辛くなるだろうと、彼女の辛さが少しだけ理解できたような気がしました。

 

うちからバス停までは6分くらいの距離で、ほぼ平坦な道のりです。しかしその道のりが途方もなく遠い。

 

躓きかけ、バランスを崩しそうになりながら、やや狭い歩車道の区別のない道を進み、そんな時後ろと対向から自転車・車。邪魔にならぬよう端に寄るにも素早くは動けず、場合によっては車から煽られたり、クラクションを鳴らされてたり。

 

通り過ぎざまに舌打ちをされたこともあるそうです。横断歩道を渡る時もそう、聞いていて悲しくなりました。

 

とにかく、彼女にとってはその6分の道のりですら、苦行のようなものだったのです。そしてそこからまだバスや電車があり、さらに病院に着いてから、抗がん剤投与という、辛い時間が待っている。そしてまた、同じ道のりを辿って帰らなければならない。

 

通院治療の辛さというのは、なかなか気づいてもらえない、周りの助けや理解が本当に必要なことなのです。だからこそ、このことは水面下にしてはいけない、皆がこのことをきちんと認識するべきだし、ヘルプマークというものが何なのかを、もっと社会が認知するべきだと思います。

 

著:乳がんの妻を持つ、地方公務員

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