誰もが生きやすい社会への一歩は知ることから
2025年6月19日

こんにちは。
学生ボランティアの松本真依です。
先日、第二回奏ミーティングがオンラインで開催されました。
今回はがん患者さんから医療従事者を目指す学生たちへの質問が主な議題となりました。
自分がもしがんになったら?
がんの人とどう接する?など、私自身立場を変え、考えるきっかけになりました。
やはり学生ボランティアの皆さんも、患者さんと同じ意見が多く「同情されたくない」「今まで通り普通に接してほしい」「ただ一緒にいてほしい」などの声が上がりました。
共生社会ってなんだろう?
ところで最近、“ダイバーシティ”という言葉をよく耳にするようになりました。
学校から出される課題のテーマにも多いです。あなたにできることは何だと思いますか?と。
多様性、共生社会。言葉に表されるだけで、それって具体的にはどんな社会なのだろう?自分には何ができるのだろう?と釈然としないです。
私はがんになったことがありません。
なので、奏ミーティングで患者さんたちから声を聞いたとしても、痛みや苦しみをきちんと理解できるかといったら出来ないかもしれません。ただ、知っていたいとは思います。
この活動に興味を持ったきっかけ
私にはダウン症と小児がんを持つ弟がいます。
車椅子に乗り、気管切開をして、ボンベやサチュレーションの機械を常に持ち歩いているので、一緒に街に出ればジロジロと珍しい目で見られることも少なくありません。
でもここだけの話、弟は私よりしっかりしています。
ソファーに洗濯の山があればいち早く気づき一人で畳み始めてくれたり、学校から帰ってくればいちばんに荷物を片付け、大事な手紙や水筒を母に出してからゲームをするんです。私は中学生の頃お弁当箱を2日ほどリュックの中に眠らせ、母に怒られたことが何度もあるので、いつも偉いなあと感心しています(笑)
でも病気や外見の障害のことしか知らず、本当の弟の姿を知らない人からは姉である私に対して「大変だね」「頑張っているね」「偉いね」などの同情の声をかけていただくことがあります。
ですがその度に私にとってはこの生活が普通で、特別頑張っていることもなく、普通の弟なんだけどな・・・と心の中でひっそりと呟きつつ、頭の中にどこからかハテナマーク(?)も浮かびます。
そして私は今まで母から弟のネガティブな話を聞いたことがありませんでした。
それは今になって知ったことですが、母の中で病名にとらわれてしまうことで、グルーピングされ、個性がきちんと見られないような、その人自身の本質を見逃してしまうような気がするからだと言っていました。

きっと病気を打ち明けるということは周りの人からの理解が進むのと同時に、実態があまり分からないのに病名がひとり歩きしてしまう怖さもあると、母の話や奏ミーティングを通して感じました。
だからこそ病気や病名という言葉のその人に与える影響は大きいなあと思います。
がんだから。障がいがあるから。
だからといってその人が変わってしまうわけではないのに、周りの人の対応が変わっていってしまう気がする。
ちゃんと自分を見てもらえないような気がする。
なんとなく触れないように。
気遣いのつもりが傷つけてしまっていることもある。
心って見えないからこそ難しいなと感じます。
今までは弟のように病気や障害を持っていることがすぐに分かる人達のことしか知りませんでした。
しかしピュアスマイルスタジオの皆さんと交流を始めたことで、目には見えない、一見普通の人に見えるけど実は病気があるという人の声を聞くことができました。
その中で、どちらも共通していたのは「同情されたくない」「今まで通りに普通に接してほしい」ということ。それは学生ボランティアの皆さんも同じ考えでした。
交流の中でみえてきたもの
私がピュアスマイルスタジオさんで交流を始めてから心に残っている言葉があります。
それは、理事である堀越さんの「人を傷つけるのは悪意ではなく無関心」という言葉です。
病気や障害に対して気遣ってほしい、受け入れてほしいということではなくまずは知ってほしい。
知らない、よく分からないからこそ、優しい気持ちがあってもすれ違ってしまうと私は思います。
大きな力にはなれなくても、きちんと相手の気持ちや状況を知ることが、お互いに安心して暮らせる社会になっていくような気がします。
がんは今や2人に1人がかかるといわれています。
いつ自分がなるか分からない。大切な人がなるかもしれない。
そんな時に少しでも寄り添えたら。
そのためにはまずは知ることから。
そんな気持ちを持ちながら、次回の奏ミーティングに参加したいと思います。
特定非営利活動法人ピュアスマイルスタジオ
学生ボランティア会員
松本真依
