父のがん闘病記25 ~自分自身を精一杯生きる~

2021年12月16日

こんにちは。木曜日担当の声優の遠藤です。今回が最終章となります。

前回までのお話はこちらから

生きているだけでも儲けもの。その意見には賛成です。

認知症になっても父には生きていてほしかったというのが本音です。

しかし、自分が思うように生きられないというのは辛い。それは体の面もそうですが、特に心が自分自身でなくなってしまうことは、全く別の人間になってしまうことで、私はそんな人生は生きたくありません。あくまでも個人的な意見です。ご了承ください。なぜそこまで言うかというと・・・前回の続きです。

 

なぜ、85歳という高齢の父に抗がん剤を打たせないほうが良かったと考えたのか。父は2月1日~10日まで石心会病院で1回目の抗ガン剤治療で入院。

帰ってきた時に変化がありました。幻聴です。

夜中に玄関のドアをどんどん叩く音がしたから見に行ったら誰もいなかったと言い出した。この頃の父は耳が遠くなっていました。母は1階でしたが、私と父は2階に部屋を持っていました。玄関で大きな物音がすれば、父が気がつくなら音に敏感な私なら100%気づきます。

 

この時に抗がん剤のことを調べたり、医者にリスクを聞いておくべきでした。

ここが父の最大のターニングポイントだったと思います。

ここで抗がん剤をやめておけば、少なくとも死を迎えるときには話ができただろうし、施設には行かず家にいた可能性が高かったと思います。

 

このあと、3月1日から10日までの2度めの抗ガン剤治療で、完全に体力を失い、2階で生活するのは無理になり、介護ベッドが必要になり、夜は徘徊し、夜中に食べ物は漁るし、日に日に認知症の症状が影を落としていきました。

 

4月8日に手術予定(膀胱および前立腺全摘出)だったのですが、著しく体力を失ってしまったため、22日に予定変更。ところが前日に38度の高熱が出て、CTを撮ると肺に転移がんが見つかり手術はできなくなる。

 

4月22日(木)石心会病院にて。

手術ができなくなったので今後の治療方針を聞きにいく。

一番つらいのは父だったのですが、前日に手術中止の報を聞いて「びっくりしたろ」と父の冷静な言葉にびっくりしたものです。

治療方針は放射線治療と抗がん剤治療でガンを抑えるというものでした。

ここでも父は費用面について心配しており、思ったよりしっかりしていることに驚きを隠せませんでした。

 

体もより細くなっていたので、一度、家に返して体力を回復させてから改めてこの先を考えることにしました。この判断が良かったかはわかりませんが、家に帰れたのは本人はうれしかったことでしょう。

 

しかし、自宅に戻ると次第に言っていることも理解できない、夜に人形や犬や猫などの幻覚を見る、思考が食べることだけに集中し、排泄も自分でできなくなる、部屋で転倒するたびに起き上がって助けに行くという生活。用事もないのに母の部屋の戸をどんどん叩く(母も疲れてしまい、2階に避難させました)、早朝に大声で呼ぶなど、だんだん家では手に負えなくなりました。

 

5月18日(火)信濃町のJCHO新宿メディカルセンターで受診・CT撮影。

20日(木)放射線治療のため入院。

 

6月2日(水)退院。もう家はヒッチャカメッチャカで戦争状態。言うことは聞かないし、勝手なことはするし、安眠できない状況。認知症はかなりひどくなっていました。この時点でかなり父は自分を見失っています。

 

6月9日(水)抗がん剤キイトルーダを投与。

 

6月16日(水)血液検査とCTを撮影。肺のがんに空洞ができて改善。

しかし、また痩せてしまったし、足元のふらつきはますます悪化。

ここで抗がん剤は打つのをやめました。

これは今でも正解だったと考えています。

 

6月中旬(すみませんメモに日付が載ってませんでした)

介護老人保健施設(老健)に入所。

リハビリをしてくれると期待するも徘徊するのを止めるため、

安定剤を飲まされ、入所して1週間後に面会がありましたが、車椅子に座らされ声もか細く体はヨレヨレの状態で妹のことは「どなたさん?」という始末。

一日も早くここを退所することを決意。

 

7月1日(木)サービス付き高齢者向け住宅のエクラシア所沢に入所。

7月9日(金)父と面会。父と話した最後となりました。安定剤も抜けてきてぼんやりしていた頭が少しクリアになる。ここはスタッフもかなり頼りになるし最高に良い施設でした。

 

7月18日(日)朝食時にブロッコリーを詰まらせ誤嚥性肺炎と診断され、再び石心会病院に入院。

 

7月30日(金)早く退院させてほしいと懇願しましたがこの日にようやく退院。

点滴とゼリーのみで限界まで痩せてしまった。それでも施設に帰れてミキサー食でしたが、ようやくご飯を食べられました。

 

8月以降は腸内環境が悪く、ずっとお腹が緩い状態。足は春にはかなりむくんでいましたが、それがさらに悪化。9月頭には腕にもむくみが出てきていて4日に連絡をもらっていました。

 

9月5日(日)朝から昏睡状態。施設から連絡を受けすぐに駆けつけるが、

脈もどんどん弱くなり静かに息を引き取り永眠。

 

苦しまずに亡くなったことが唯一良かったと思いますが、抗ガン剤によって体力を奪われ、認知症が重症化することによって父は完全に自分を見失いました。

 

どうか皆様、抗ガン剤を使うなとはいいません。ですが、医者にリスクをしっかり聞いて、病気や抗ガン剤のことも勉強して家族のために動いてください。

 

父は何を言い残したかったのか。いまだに不明のまま。

あとは今回の父が身を持って示してくれた体の変化を教訓に母には長く健康でいられるよう努力します。

 

少しでも皆様のお役に立てたらな幸いです。

私はこれからしっかり稼いで母を安心させ、少しでも楽しい時間を多く過ごさせてやりたいと思います。精一杯の力で生きていきます。

長い間つたない文章をお読みいただき本当にありがとうございました。

 

ナレーター・声優  遠藤章史

 

 

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