父のがん闘病記16 ~介護疲れ、家庭崩壊の危機~
2021年10月15日
こんにちは。
声優の遠藤です。
6月16日(水)11時30分から石心会病院の主治医、實重学先生の診察。その前に血液検査、CTを撮りました。すると、肺に転移したガンに空洞ができていて、改善していました。膀胱の方は、放射線治療で小さくなっていることは容易に想像できていました。
主治医はキイトルーダが効いていると主張してましたが、また痩せてしまったし、放射線治療から帰ると足元のふらつきは悪くなってしまいましたので、これ以上の抗がん剤治療は危険と判断。ご家族に任せるとおっしゃってくれましたので、もうこれ以上は抗がん剤は打たないとハッキリ言いました。
この時はすでに抗がん剤治療の怖さは今回の父の短期間での急変ぶりを見て、少なくとも体力をかなり奪うことだけは間違いありませんし、アメリカでは抗がん剤を使わない治療にシフトしているようです。3大治療から免疫や遺伝子医療などの代替医療などにシフトしつつあり、年間数千人単位でがんの死亡者数が減ってきています。(2016年調べ)抗がん剤は時代遅れ?アメリカは抗がん剤を使わない治療にシフトしている (g-ms.co.jp)
現在では日本人が開発したがん細胞だけを狙い撃ちする「光免疫療法」が世界中で研究が進められているようです。
さて、抗ガン剤治療をやめることになったわけですが、ちょうど水素カプセルの無料モニターがあったので、父に飲ませるべく、ズームセミナーに参加しカプセルを手に入れました。いまのところ、大きな変化はなし。母もモニターになり、その半分を私も飲んでいるのだか、目覚めが少しいいくらいで、他は目立ったことはなし。
急変はないだろうというのが確認できたので、ケアマネージャーの宮下さんに、次のショートステイの手配をお願いしたのだか、あいにく今まで使わせていただいていた、つつじの園さんの空きがなく、入れず、期間を決めず入られるにみかじまという老健を見つけてくれ、そこにしばらくお世話になることになった。老健ということで、しっかり足腰を鍛えてくれると思っていたら、全くそんなことにはならなかった。
6月18日(金)
JCHO新宿メディカルセンターで5月18日(火)に診察を受け、CTを撮り、6月2日までの2週間で放射線治療して、1日だけ、家に帰ってきましたが、早朝から階下から「おーい!」と呼ぶ声。緊急性は感じなかったので、ろくでもないことだろうと。
以前にも6時頃に同じことがあり、飯の時間だと言い出す始末。いつも七時だろ!!といっても、よくわかっていないというのがあったからだ。
ところが、新聞を取りに下に降りていくと、やらかしてました。大のおもらしです。
おむつはぐちゃぐちゃ。それを、はさみを持ってきて切ってビニールに入れるというワケわからない行動。普通ならもらしたのはわかっているので、寝巻きを脱いでからオムツを脱げばいいだけの事。何をどうしたらいいのかの判断ができない。
なぜか寝巻きのお尻にも大がついていて、ウンザリしたことを覚えてます。
こりゃさすがに一人じゃ無理だということで、まだ五時にもならない時間帯でしたが、
2階に避難していた母を起こして手伝ってもらいました。
初日でこれですから、もう家で面倒をみるのは不可能と判断。
すぐに、ケアマネージャーの宮下さんに、自宅ではもう無理だということを伝え、
つつじの園にさん、もしかは、他の施設でもいいので、ショートステイの手配をお願いしますとお願いしたのだか、医師にお墨付きをもらわないと厳しいとのこと。
急変はなく、ある程度、安定した状態であることが最低条件だった。
このままじゃ家庭崩壊ですと強く訴えた。そこで、見つけてくれたのが、老健のみかじまだった。ホッとはしましたが、月に20万かかるということで、お金の面でかなり厳しい条件だった。我が家は父の年金で持っていたようなもの。この出費では何ヵ月、生活が維持できるのかというところでした。
著:遠藤章史
ナレーションを中心に芸能の仕事をさせていただいています。昨年から自宅録音での納品もしており、朗読、ナレーション、YouTubeやツイッターやブログ、フェイスブックなどのSNSでも発信中。父の膀胱がんが発覚してから様々な意見を取り入れながら思案・行動してます。父は認知症も患っており、排泄の粗相や、夜中と早朝の徘徊、時間に関係なく、人を呼ぶようになり、自宅での介護を断念。ショートステイを繰り返していましたが、現在は老人介護保険施設に入居しております。父の体力の回復、ガンと、どううまく付き合っていかせるかを模索中の毎日です。