父のがん闘病記12 ~父の生命にかける~

2021年9月8日

こんにちは。
声優の遠藤です。

前回までのお話はこちらから

主治医は退院と同時に転院という形で、都内で放射線治療を勧めてきましたが、直前になって、取りやめ、父を家に返しました。

父に聞いたら「体力が落ちた」とも言っていました。

半強制的に退院させたその訳を話します。

高齢者の父だからという前提ですので、全ての方が当てはまることではないのでご了承ください。

まず抗ガン剤治療についてです。

まず最初、主治医は抗がん剤は使わないと言っていたんです。

ところが、再発率を低くするために抗がん剤を使いましょうといい出しました。

それならと了承してしまいました。

しかし、抗がん剤は基本的な投与の量が決まっていて、もちろん患者の状態によっては、その量も変わるし、実際。2回目の入院での抗ガン剤治療では量を減らしています。

ですが、3月末の手術を延期したときには、手術後の再発率は50%と言い、

話が違うんじゃないかと。そして、1回目の抗ガン剤治療終了後には幻聴が出てきて、2回目の退院後には、一気に体力を奪ったばかりか、認知症まで発症してしまった。これも抗がん剤治療の入院を1回にとどめておけば、今のような認知症にはなっていなかったですし、今も自宅で療養できていたはずです。

知ることは大事です。そのことによって運命を大きく変えてしまいます。

行動を起こす前に、わからないことは徹底的に調べることを強くおすすめします。わたしが知っている範囲であればお答えします。

 

さて、退院して父が家にいる間は、フェイスブックで知り合った方たちの助言と、私がガンについてYouTubeや書籍を通じて学んでいきました。まずはシリカ(ガンサバイバーの方は必須アイテムとされるもので、尿を大量に出し、毒をより出してくれるもの)を飲ませましたが、膀胱がんであるがゆえに、尿が出すぎてしまので、夜のトイレも頻繁になりすぎてしまい、あえなく中止。

その他、ガンは生活習慣の改善から治っていくので、まずいちばん大事な腸内環境を整えることに重点を置きました。その第一弾が野菜と水だけで作るヒポクラテススープ。その他、油や砂糖や塩、はちみつなど、良質なものに替えて、細胞を一新し、体を回復させようと考えたのです。しかし、認知症はすすんでしまい、寝る、食べる、排泄する、粗相する、夜中や早朝に動き回り、私と母を起こす。運動はしないで、もう自宅にいたのでは回復は難しいということで、施設に預けるしか選択肢しかありませんでした。

ところがです。6月以降は頼みの綱だったつつじの園さんのショートステイの空きがないという窮地に追い込まれました。ケアマネージャーに他の施設をあたってもらいましたが、見つからずどうしたらいいのか先が見えない窮地に追い込まれたのです。

この頃には紙パンツを2枚も履いたり、寝間着の上に紙パンツを履いたりして、

いよいよ認知症が進行してきました。昼に寝るから夜に目が冴えると言っても、昼に寝る、もうこちらの意図も、自分の未来も見通せない状態になっていました。もう父の面倒を自宅で見るのは限界と感じて、私と母が出した結論。

 

苦渋の選択でしたが、父に放射線治療で入院してもらうという道でした。

キイトルーダも打って、一時、病院の主治医の言うとおりに逆戻りすることでした。ある意味、ガンを抑えつつ施設を見つめるまでの時間稼ぎです。父の生命力にかけての決断でした。要は共倒れになって母まで倒れさせるわけには行かないし、私の健康も脅かされるという究極の選択でした。他に取る道がなかったのです。父には申し訳ないけど、後悔はありません。

 

急いで石心会病院へ診察をお願いし5月11日に受けることができ、放射線治療を受ける懇意にしている病院のJCHO新宿メディカルセンターにすぐに入院、治療できると思いきや、石心会病院から一度退院してしまったので、転院という形は取れず、放射線治療を受けるために一度診察しに行き、それから検査を経て入院、放射線治療という流れでした。埼玉県から東京の信濃町までだったので高速代もかかりましたし、時間も90分以降かかりましたし、診察したのが18日の9時過ぎでしたが、CT撮影が午後となり大変でしたが、なんとか5月20日に入院。入院当日もロングドライブというのもあったのですが、病院に付く前に排便で粗相をし病院では大変でしたが、6月2日まで、放射線治療となったのです。

 

 

著:遠藤章史
ナレーションを中心に芸能の仕事をさせていただいています。昨年から自宅録音での納品もしており、朗読、ナレーション、YouTubeやツイッターやブログ、フェイスブックなどのSNSでも発信中。父の膀胱がんが発覚してから様々な意見を取り入れながら思案・行動してます。父は認知症も患っており、排泄の粗相や、夜中と早朝の徘徊、時間に関係なく、人を呼ぶようになり、自宅での介護を断念。ショートステイを繰り返していましたが、現在は老人介護保険施設に入居しております。父の体力の回復、ガンと、どううまく付き合っていかせるかを模索中の毎日です。

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