父のがん闘病記10 ~波乱のショートステイ初日~
2021年8月26日
こんにちは、木曜日は声優の遠藤章史です。
父がデイサービスの体験に、つつじの園(施設)に初めて行ったのは4月6日(火)。10時に迎えに来てくれて、非常に物腰も柔らかく丁寧な対応だったので、安心して送り出せました。あの時はホッとしましたし、母もゲートボールへ久しぶりに行けて気分転換になったと思います。家に一人でゆっくりできたのは本当に久しぶりで、快適でした。ストレスも相当かかっていたことも実感しました。無理はいけないよなと強く感じたことを覚えています。
この時すでに4月8日から15日まで、そこの施設にショートステイさせる予定でした。
何せ父は、夜に徘徊する、転倒する、人を夜中や早朝に起こすと介護者にかなり負担をかけていました。母も私もかなり疲れていましたし、このままでは二人とも倒れるのは目に見えていました。
2020年の12月まで運転までできた父が、なぜこんなになってしまったのか。
今までの話と重複するようですが、すごく重要なことなのでもう一度書きます。それは抗がん剤の影響です。簡単な理屈です。がん細胞を萎縮させることは成功しました。しかし、その代わりに正常な細胞も殺し、体力を奪っただけでなく、脳細胞にも影響があって、認知症が一気に進んでしまったということです。これは間違いありません。父の場合はそうなったというだけですが、ガンになったら必ず抗がん剤の話は医師から出てきます。今の日本の医療体制では、
治療方針が手術、抗がん剤、放射線の3本柱になっているからです。それを受けるかどうかは、もちろん皆さんの自由ですが、いちばん大事なのは、どんなリスクがあるのかというのを主治医に詳しく聞いておくことです。これは必須です。そのリスクを把握した上で受けるのはいいと思います。これを読んでいる方々が父と同じようになるのは私は望みませんので、そこは慎重に判断してください。
例えば、母や私がガンになった場合は、3大治療は受けません。
ちなみに母は86歳、私は56歳です。万が一、私がガンになって、認知症になったら、母の負担は計り知れないし、それこそ親不孝です。母がガンになった場合は、父の体力の急激な減退と、一気に認知症が進んだことから、別の治療法を考え、実行します。医者の言いなりになるのではなくて、自分で調べて、自分でリスクを背負って、最良と思われる方法を実行していくことになります。
医者は責任を取ってくれません。父のことは私が全て決めてきました。すべての責任は私にあります。父が体を張って教えてくれたことは必ず生かします。
話を戻します。
父がショートステイに行かせる初日の4月8日。その初日から大変な日になった。この日は豊岡第一病院でやけど治療。妹と母に行ってもらって、帰りにそのまま、つつじの園に入所。妹が息子の迎えがあるので、母が手続き。私が迎えに行った。
母と2人になって、2人とも今日の夜はゆっくり眠れると、ホッとしていたのも、束の間、施設から電話。何と熱が38.2度あるという。
コロナでないのが、証明されないと、置いておく事はできないということだ。
施設が提携している小林病院の診察は終了していて、近くの病院も、原田病院、狭山総合クリニック、豊岡第一病院とことごとく断られ、何とか石心会病院が、診てくれることになった。しかも、当日、コロナ判定ができるということで、父を迎えに行き、母と共に石心会病院へ。当日結果が出るPCR検査を受け、終わったのが19時30分近く。コロナウイルス対策に関しては、父の病状や私の仕事のことを考え、細心の注意を払っていたので、陰性と判明してホッとしました。施設にも無事帰れて、母と夕飯を取ったのは21時でした。
しかし、この熱はコロナではなかったのですが、あとでその熱の理由がわかった時は、家族全員でガックリうなだれることになるのです。
著:遠藤章史
ナレーションを中心に芸能の仕事をさせていただいています。昨年から自宅録音での納品もしており、朗読、ナレーション、YouTubeやツイッターやブログ、フェイスブックなどのSNSでも発信中。父の膀胱がんが発覚してから様々な意見を取り入れながら思案・行動してます。父は認知症も患っており、排泄の粗相や、夜中と早朝の徘徊、時間に関係なく、人を呼ぶようになり、自宅での介護を断念。ショートステイを繰り返していましたが、現在は老人介護保険施設に入居しております。父の体力の回復、ガンと、どううまく付き合っていかせるかを模索中の毎日です。