父のがん闘病記 ~絶望のその先に光あり~
2021年9月2日
こんにちは。
声優の遠藤です。
4月8日にまさかの発熱で、コロナウイルス感染の疑いで、一時はショートステイを拒否されるところでしたが、当日にPCR検査で陰性が判明し、夜遅くなってしまったので、渋られながらも何とか父をつつじの園さんへ行かせることができました。そして13日から石心会病院へリハビリを兼ねて早期入院させることができ、私も母もこの8日以降は、父が5月2日の一日だけ家に帰りましたが、それ以外は、父はずっと施設か病院にいるということで、ようやく私とは母は平穏な日々を送れるようになったのです。
何もかも順調に進んでいると思われました。膀胱全摘出手術は22日。
その前日。ああ、明日はいよいよ手術か。うまくいってくれと祈るばかりで落ち着きませんでした。ところがです・・・。21日の晩、主治医から電話がかかってきました。手術前日にどうしたんだろうか。不安を持ちながら電話に出ると、いきなり38度以上の高熱を出しCT検査をしたところ、転移がんが肺に見られたと言う。頭の中は真っ黒。真っ白ではなく、真っ黒という感じ。絶望感に溢れました。膀胱だけのガンだったので、はみ出して、外へ顔を出していたとしてもステージ3から4の間だったのですが、これで手術が不可能なステージ4となってしまったのです。母とは仕方ないねと言いながら、父はもう長くはないんだなということを二人共に考えていたはずです。
翌日、私と母、そして、父と主治医とその助手で会議室でスライドを見ながら説明を受けるはずでしたが、助手がスライドをうまく操作できず、結局は主治医のパソコンの映像で転移した肺がんの映像を確認。素人でもわかるほどの大きさの、わりと大きなガンでした。
今後の治療方針としては、手術はできないので、放射線と免疫力を上げる抗がん剤で、食い止め続ける。そう、抗がん剤をずっと続けるか、途中で辞めるかの選択しか残されていませんでした。
でも、この場で思ったのは、この時の父は、手術できないことに関して、
「びっくりしたろ?」と思ったより、私たちよりも、ずっとしっかりしていたのです。しかし、また痩せていました。
しかも、これからの費用の話になったときに、費用は仕方ないといった私を右手で制して、これからの抗ガン剤や放射線の費用のことを心配していました。
思ったよりも元気だったのです。
そして、結果的にこの時、手術を受けなかったことが光となってくるのです。
この後、私はガンや抗がん剤のことを勉強することになるのですが、
主治医の言う通り、病院を退院すると同時に、都内のJCHO新宿メディカルセンターで、転院し放射線を受ける手筈になっていました。
しかし、フェイスブックの知り合いの友人の元気なガン患者と知り合い、父がまた痩せたこともあって、一度、自宅に返すことを決断することにしたのです。
このままでは体力をもっと奪われて、病気に負けてしまうと強く感じたからです。この間、ケアマネージャーとは綿密に連絡を取り、フォローされていましたので、私も何とか精神状態を保つことができていました。
家に帰ってからの私の作戦は、まずは毒を出して体力をつけること。そこで知り合いからの情報でいいと思った野菜と水だけで作るヒポクラテススープを飲ませて、毒を出し、ガンを制御しようという作戦。父はスープをおいしいといってくれて毎日飲んでいましたが、その生活は、運動はしない、寝てるか食べているか、夜中や早朝にウロウロするかの生活で、夜は徘徊し、母と私は起こされ、自宅での介護はいよいよ難しい情勢となってきたのです。認知症が進みはじめ、排泄でも粗相が増えてきたのです。
ここで母と私はある重要な決断をします。
著:遠藤章史
ナレーションを中心に芸能の仕事をさせていただいています。昨年から自宅録音での納品もしており、朗読、ナレーション、YouTubeやツイッターやブログ、フェイスブックなどのSNSでも発信中。父の膀胱がんが発覚してから様々な意見を取り入れながら思案・行動してます。父は認知症も患っており、排泄の粗相や、夜中と早朝の徘徊、時間に関係なく、人を呼ぶようになり、自宅での介護を断念。ショートステイを繰り返していましたが、現在は老人介護保険施設に入居しております。父の体力の回復、ガンと、どううまく付き合っていかせるかを模索中の毎日です。