父のがん闘病記23 ~医者にかかるならもういいぞ~
2021年12月2日
おはようございます。木曜日担当の声優の遠藤です。
9月6日(月)納棺の儀式。
一日立つごとに、父の顔を見ると目の回りが上下左右にくぼみ、頬も落ちていきました。重力によって、そうなるらしいです。1日だけ布団で寝かせて翌日には納棺をしました。来てくださったのは21歳の若者でしたが、とても丁寧で、スマートなまさしくプロの仕事でした。手配してくださったいるま野サービスの押田さんがおっしゃっていたのは、この会社は、アカデミー賞を取った「おくりびと」の納棺師役を演じた本木雅弘さんにその作法を教えた会社だそうです。なるほどと合点がいきました。それくらい素晴らしかったのです。父の旅立ちにふさわしい方に担当していただきありがたかったです。
9月11日(土)お通夜。あまりにバタバタしていて、こっからは思い出しながら書いていきます。午後2時。父が家を離れ斎場へ向かう時間になりました。ありがたいことに近所の方々と知り合いの方が駆けつけてくださり見送っていただきました。有り難いことです。私も誠心誠意、挨拶しに行きました。黒のクラウンに乗って父は運ばれていきました。
夕方5時からお通夜が始まりました。見事な祭壇でした。そして親戚からは花が送られ、弔電まで頂きました。コロナ下で家族葬となりました。私と母、妹夫婦、母の弟、父の弟夫婦の8人で質素に行われました。司会の方もベテランの女性で安心できましたし、滞りなく終了。夕飯だけ用意させていただいて、父の話をしながら食事しました。この日は不思議なことがひとつ。父の飾られた写真の父の表情が時間の流れとともに表情が変わって見えたこと。まだ死んだことが実感できていない戸惑いの表情、ああ俺死んだという自覚の表情、そして諦めの表情。もちろん私の心が映し出したものですが不思議な感覚でした。
9月12日(日)告別式。昨日に引き続き浄土真宗の住職にお経をあげていただき、いよいよ焼き場へ。5番でした。焼き終わるまで昨日と全く同じ方たちとおにぎりを食しました。父の大好きだったおにぎり。来てくださった皆さんに喪主として挨拶とお礼を申し上げました。そして、父は骨になって家に帰ってきました。
9月25日の今日は父が最後までお世話になった施設にお菓子を持って挨拶に行きました。父の洗い物と渡し忘れた印鑑と、歯科にかかった費用の支払いもありました。
そして、施設の中で1番お世話になったし、父の最後の晩に宿直担当だった井上さんに話を聞きました。
その晩は井上さんから電話を頂いていて、低体温になっていることと、足のむくみも急にひどくなってきたのと、手までむくんできたという報告がありました。
亡くなった9月5日朝5時の時点では、目の焦点が合ってなかった感じはあったものの、目は開けられていた。バイタルや他の数値も少し低く、井上さんが病院での治療が必要かもという話をしたところ、父は「医者にかかるんなら、もういいぞ」と拒否したそうです。医者に対する不信感もあったろうし、死が近づいているというのも感じていたんだろうし、家族にこれ以上迷惑はかけられないという思いもあったのかもしれません。
それを聞いて、さすがに私も涙が出てきました。
もうちょっと生かしてやりたかったな・・・。
やることはやった自負はありますが、それでも全く後悔がないといえば嘘になるし、もっと何かできることはなかったのかなと感じています。いまさら何を言っても何も始まらないですけどね。
私自身もっと力強く生きて、稼いで母を安心させ、守っていきたいと思います。
最後に、次回からは何が良くて何が悪かったのか、自分でコントロールできるものだったのか、できないものだったのかを話をして連載を終わろうと思います。
著:遠藤章史
ナレーションを中心に芸能の仕事をさせていただいています。昨年から自宅録音での納品もしており、朗読、ナレーション、YouTubeやツイッターやブログ、フェイスブックなどのSNSでも発信中。父の膀胱がんが発覚してから様々な意見を取り入れながら思案・行動してます。父は認知症も患っており、排泄の粗相や、夜中と早朝の徘徊、時間に関係なく、人を呼ぶようになり、自宅での介護を断念。ショートステイを繰り返していましたが、現在は老人介護保険施設に入居しております。父の体力の回復、ガンと、どううまく付き合っていかせるかを模索中の毎日です。