弁護士 菅原崇さんの2つの人生
2026年3月12日
こんにちは。学生会員(ピアカルテ)の松本真依です。
今回は2 月の奏ミーティングの様子をお届けします。
2月の奏ミーティングは弁護士の菅原崇さんをゲストにお招きしました。

菅原さんの生きる道
私が今回菅原さんのお話を聞いて感じたことは、自分が経験してきたことや感じてきた感情は、誰にも奪うことのできない、自分だけの生きる財産になるということです。
事故に遭うまでの菅原さんはとってもアクティブ。
国立大学卒業後は、就職氷河期の厳しい中、明治乳業へ就職しました。
もともと菅原さんは医者を目指していましたが、入学した国公立大学に医学部がなかったことから食と医療のつながりに興味をもちました。
当時の明治乳業への就職の倍率はとても高かったそうです。
菅原さんは資格を数多く取得し、趣味である旅行へ行き就職での小話をゲットしながら、自分のアピールポイントを作り、狭き門である明治乳業への切符を手にします。
私であればここで「よっしゃーこれで人生安泰だ~」とうつつを抜かしまくるところを菅原さんは「社⾧になってやる!」と努力を重ね、明治おいしい牛乳やメイバランスmini をはじめとした有名食品の開発に携わります。
そんな菅原さんは座右の銘として「実力以上のことを望み、それをやり遂げる」という決意があります。
これが凡人と秀才の違いでしょうか・・・
菅原さんはご自身で「自分は凡人だから努力する」とおっしゃられていました。
もし菅原さんが凡人であるとしたら私は鈍才へランクダウンしてしまうので、菅原さんの自認が秀才へとアップしてほしいと思います・・・(笑)
少し余談になりますが、栄養食品であるメイバランスは私の祖父が胃がんになり、食欲が落ちた時に箱買いするほどとってもお世話になりました。
医者になりたかった菅原さんは食で人々を救っています。
そんな順風満帆ともいえる日々の中で、事故に遭い重度の障害を負います。
努力じゃ超えられない壁
事故後は復職を目指していましたが、首から下が上手く動かない“四肢まひ”状態であった菅原さんにヘルパーさん付きの出勤が認められず明治乳業を退職することになります。
そしてその後、“弁護士”という新たな道を切り開いていきます。
現在では多くの弁護士をまとめる菅原さんですが、弁護士になるまでの道は決して平坦ではありませんでした。
横浜国立大の法科大学院に入学し、もともと理系であった菅原さんはちょっぴり苦労しつつ司法試験へとこぎつけます。
しかしここで思わぬハプニングに・・・
菅原さんは四肢まひ状態であるため、字を書いたりすることが難しい。となると、音声ソフトの使用などの配慮が必要になります。
ですが音声ソフトの使用を法務省へ訴えたところ相談に乗ってもらえませんでした。
そのため、二年次冬の司法予備試験に出願して相談をしますが、却下。
・・・厳しい。
目が悪ければ眼鏡をかける。くらいの話だと感じますが、そう簡単にはいかないのでしょうか。前例がないことはできないと、どこぞの政治家の検討するつもりのない“検討します”、並みの腹立たしさで耳にたこができそうです。
しかしここであきらめないのが菅原さんです!
三年次の司法試験予備試験でもう一度相談をしたところ、予備試験とともに司法試験でも音声ソフトの使用が認められました!!
よし!ここで力を発揮できるぞー!!といった司法試験の日。
司法試験では六法全書を使用する場面があるため、菅原さんは音声ソフトの使用と並行して、六法全書を引く方のサポートが必要になります。
しかし、司法試験運営が用意してくれた六法全書を引いてもらう人が、六法引きに慣れている人だと聞いていたはずが実際は初心者だったという、2度目のハプニングにも見舞われながらも、六法引き勝である科目がある2 日目の2 科目目までに沢山練習をさせて、なんとか踏ん張りました。
そして一発で司法試験合格を果たします。
無駄なことはないということ
私は菅原さんのお話を聞くまで、「あぁ、きっとこの方は元々できる人だ」「頑張ることが得意な人だからきっと私とは全然違うだろうな」と思っていました。
ですが、”もともとできる人”だと私が感じる背景には、たくさんの努力があることと、あきらめない心が強くありました。
今の私にはないものばかりで、菅原さんのお話からは学ぶことが多くありました。
弁護士となった現在の菅原さんは、明治乳業で培った交渉力を武器に活躍しています。
菅原さんの人生を少しのぞかせてもらうと、人生において無駄なことなど一つもないなと
感じます。
経験したから優しくなれる。
経験したから乗り越えられる。
だから嫌な記憶や思い通りにいかなかったことも、いつか役に立つのかもしれない。
そのようなことが人生にはたくさん落ちているのかなと思えた2月の奏ミーティングでした。






