妻のがん体験記【あるあるその4の③】治療中であることを改めて思い知る
2021年9月6日
【あるあるその4】治療中であることを改めて思い知る③
味覚障害が進むと同時に、もう一つの副作用が徐々に強くなっていきました。
それは、『手足の痺れ』です。
実は、この副作用が最も厄介で、術後の治療が終了して1年以上が経過した今ですら、その症状の完治には至っていないのです。正直、ここまで長引くとは私も妻も思ってはいませんでした。
痺れは、手先の感覚を奪い様々なストレスを生み出しました。まず、当然のことですが、指先を使う細かい作業は全く出来なくなりました。小さいものを摘まむ、ビニール袋を開くなどは元より、ペットボトルのキャップを締める、本のページを捲るもうまくいかない。
特に本人のストレスとなっていたのは、料理に関する全般でしょう。当たり前に出来ていた調理作業がままならない。そればかりか、痛覚も鈍っているため、火を扱う調理では熱されたものに触れてしまっていることに気づくのが遅れ、何度か火傷しかかっていました。包丁で切ることも、指先の感覚が鈍いことでうまくいかず、危険な場面が何回かありました。
出来なければやらなければいいじゃないか、と、最初は心配のつもりで言っていたと思います。しかし、それ自体が彼女に強いストレスを与える行為だと、すぐに気付きました。生真面目な彼女にとっては、当たり前のことが出来ない自分が許せない。周りからやめろと言われることも、屈辱だったことでしょう。
その背景には、決めつけで「病人なんだから」「おとなしくしているべき」「可哀想」などと言われた、そのことに対しての反骨心もあったと思います。健康な人と何ら変わりない生活というのが、彼女の最大のテーマでしたから。
その手先の痺れよりも、彼女の生活に影を落としたのは、足の痺れのほうです。この症状が今もかなり残っています。
元々行動的で、動いていないと駄目なタイプの妻にとって、足がうまく使えなくなることはとても大きなストレス、とても辛いことでした。
ちょっとした外出も、まず靴が上手く履けない。足の指の感覚も全くないので、革靴、ヒールのある靴はすべて履くことが出来ない。唯一履けるスニーカーでも、足裏の感覚が上手く伝わらないのでうまく歩けず、何でもないところで躓き転びそうになる。体力も衰えているので、バス停までの6分ほどの距離も途轍もなく遠く感じ、疲労が大きい。
そうなると、外出自体が苦痛になってしまう。しかし外出出来ないことがさらなるストレスを呼ぶ。
まさに、負のスパイラルでした。
著:ホーリー 乳がんの妻をもつt