パパの、がんと仕事・子育て奮闘記23 ~がんと向き合うとは、「どう生きるか」ということ~

2022年8月23日

こんにちは。
火曜日担当、ピュアスマイルスタジオの理事の長尾です。(連載が2回空きすみませんでした。夏休みを取っていました)

前回までのお話はこちらから

私の闘病記もいよいよラストです。

がん再発による2015年1月入院も1週間程度ですぐに社会復帰できました。がん治療に関わる部分だけでなく、仕事と子育てを抱え込むひとり親の悩みなどをお伝えできればと思います。

2015年2月3日

今日は節分。夕飯は恵方巻き。作られたものは買うと高いし、スーパーなどで大量に作られたものは保存料などが色々入っているので自宅で作ると安心。好きなものを色々入れて食べた。
子供達に習って西南西の方角を向いて何も喋らず食べたが母は「ちょっと大きいねえ」とか喋りっぱなしだった。
簀巻きがなかったので龍の書道で使う簀巻きにラップを巻きつけて代用。チョット贅沢な手巻き寿司といったところ。美味しく頂いた(*^^*)


2015年2月9日

昨日は「ことばで奏でる音楽会Vol.2」が等々力の玉川区民会館ホールで行われた。
雨の中満員でお客さんの評判も良く楽しめるコンサートだった。
詩人・谷川俊太郎さん、作曲家・ピアニストの谷川賢作さんが出演される今回はビデオ撮影と急遽プロジェクターの操作を行った。本来は1人オペレーションの2カメのオーダーだったが5カメ回した。

がんの再発治療後体調はほぼ戻っています。今回は喉にできた小さな再発分を切除するもので1週間ほどの入院治療。しかし疲れは以前より多いように思うので無理はしない。
今回多くの機材のセッティングや撤収、カメラなどが倒れないように見張るカメラ番などやるべきことが多いので中学生の息子の龍にもアルバイトをして貰った。準備をちゃんとして安心して仕事に臨むことが撮影に関しては一番。そして子育ての観点から子供に親の仕事をする姿を見せるのは大切。

谷川俊太郎さんは詩人としてだけでなく、合唱曲「春に」を始め良い曲が多い。鉄腕アトムの作詞でも有名。小中学校の国語の教科書に色々詩が載っているので勉強のやる気スイッチをここ何年も模索中の龍にとっても良い機会だと思った。

谷川俊太郎さんのサインは著作物を買った先着何名かの限定。残り一枚ということで慌てて「春に」が入っている「どきん」を購入した。龍が並んで握手とサインと写真をとって頂いた。

2015年2月19
武蔵小山近くのスクエア荏原で「夢らくざ」という品川区内の小学生の子供達が色々な職業を体験するイベントがあり、私はテレビ番組を作るコーナーで講師をしました。その模様は品川区のケーブルテレビでも放映されました。
今回のイベントは、テレビのニュース番組をスタジオで3カメ、スイッチャー、アナウンサー、フロアディレクターの6つの担当を子供達がそれぞれ体験するイベント。1分のニュース原稿をカメラの前で読んで、スイッチャーが3カメのスィッチングをするなど本番さながらの体験に子供達も真剣でとても喜んでくれた。私はきよみ先生と呼ばれました。
小学生の子供達相手なので平仮名の名前の名札でした(*^^*)

2015年2月21日
郡上八幡の岸剣(きしつるぎ)神社で単身赴任中の父が中日新聞の投書欄に載ったとのことで連絡が入りました。
世界で一番口下手な宮司の父だが、平和への思いは伝わってくる。
戦争で父を早く亡くし、母子家庭で育ち頑張った父の言葉を噛みしめて子供達は何かを感じて欲しい。(父を戦争で亡くしたと言われるプーチンに聞かせたい。2022/8/24記

2015年3月13日
3/13(金)は綾音の誕生日。金曜の夕方は本来学校の仕事はない。数年前から勤務している糀谷夜間中学のお別れ会が夜あったので、綾音に謝って出し物の全員合唱のピアノ伴奏をしてきた。(出番は15分ほど。1時間くらいで帰宅)
お別れ会のピアノ伴奏は事前にパソコンで作ってCDにして渡してあったけれど、勤務日でない日に私が来たので生徒も先生方も生演奏に喜んで大きな声で歌ってくれた。
この学校は山田洋次監督の「学校」という映画の舞台になった学校。

生徒は現在では日本人よりも外国人の方が多い。
「見上げてごらん夜の星を」「少年時代」「ハナミズキ」の3曲を歌った。
一般の中学の中には恥ずかしくて余り声を出さない生徒もいるけれど、この夜間中学ではみんなたどたどしい日本語であっても大きな声で歌ってくれる。
「見上げてごらん夜の星を」は定時制高校の男子生徒と全日制学校の女子生徒の淡い恋を元にしたミュージカルから生まれた曲。「ハナミズキ」は台湾と日本人のハーフである一青窈さんの曲。3/19の卒業式でも歌う。

教育の原点のような体験を私にさせて貰える学校でもある。後で生徒達と写真を撮った。
お別れ会が終わったらすぐに家に戻った。綾音の誕生日でもあるのでフルーツタルトを買って帰った。
私の母がいてくれるので助かる。私のがんの再発で手術と治療後の2〜3ヶ月程度家にいてくれることになってくれている。
妹が送ってくれた手作りパウンドケーキなどを母と子供2人で食べた。幸せを感じる時間。子供達に夜間中学の話をした。ココロに刺さればいいけれど・・。

綾音には前日当人の希望で嵐のBlu-rayを予約してプレゼント。勉強をすることを約束したけれどどうかなあ。綾音は3/24小学校卒業。

以上が当時の書き込みです。

仕事に関しては、私は2つの仕事をしています。
撮影の仕事と、非常勤講師として音楽の教員です。

撮影の仕事
がんが再発した時に私の状況をちゃんと伝えた上で、撮影の仕事はクライアントに伝えてありました。T V局などの仕事はフリーランスでは入れないので会社組織にしてありました。治療中で物理的に私が出来ない時は、仕事の依頼が入った時は懇意にしているフリーランスの実力者の方々にやっていただいたり、編集の仕事などを振っていただいたりということで乗り切ることができました。仕事はチームで動くということでこれは組織としては当たり前かもしれませんが、仕事があったということについては恵まれていたと思います。
誠実に続けてきたことや、長いキャリアから私のことを待ってくれている方が多いことも乗り切れたことです。
しかし本心は、私一人の比重が大きい会社なので、身体が動かなくなった場合は会社を畳んで実家に戻ることも視野に入れていました。

講師の仕事
講師は、常勤講師非常勤講師に分かれます。常勤講師は専任教員と同じようにフルタイムで仕事をするもので、非常勤は決められた曜日の時間のみ勤務するもの。

非常勤講師の中には、年間を通じて働く年間任用講師(4月1日から3月末まで年間任用)と、病欠の教員の補助のための短期任用講師に分かれます。講師は長年やっているとその経験年数に応じて年間数日有給休暇がもらえます。またがんなどの入院治療が必要な場合は有給である程度補償されます。
私の場合は、撮影の仕事をしていますので、非常勤講師です。年間任用講師を主に行いますが短期任用講師も時々行います。いずれにせよ任期が来て学校が講師採用を見送れば失職します。

私の場合は、2013年12月中旬ごろから3月中旬までの授業がある期間は病気で休職。私が休んでいる間は生徒の授業に支障の無いように非常勤講師の補充で対処。(私が知人の講師を紹介)復職し同じ学校に引き続き勤務。

復職後8か月経った2014年12月にがんの再発。2015年1月中旬に1週間ほど入院治療をし、復職。授業変更などで私が別日に授業を行い生徒の授業数を確保。

2015年末まで3つの学校の仕事をしていましたが、1つの学校から翌年の連続採用がないことを告げられました。非常勤ですから仕方がないことです。
私も考えることがあり、翌年度は依頼を断って講師の仕事は家から近い学校1校だけにしました。

この当時20年以上非常勤講師をやっていましたが、フリーランスの人や、アルバイトの人など非正規労働者が病気になった場合、治療費がかかり生活が苦しくなる時の気持ちはよくわかります。シングルで子持ちですので尚更です。カメラマンとしてフリーランスで仕事もしてきた経験がありますので非正規労働者の気持ちは手に取るようにわかります。一般的に非正規の人達は休んだら無休です。(保険に入っていればそこからカバーされますが有限です)

病院で出会った患者の中には、中小企業で闘病が続くと会社に居ずらくなり自主退社になっている人も多くいました。病気になって、本来は仕事がしたいのにそれが叶わず無職になったり、アルバイトに変わったりする例も多くいました。
子育ての面でそうせざるを得ない人も実際に多く、その人のキャリアを潰さずなんとか行かせるようにする制度があればいいのにと切望しています。シングルで厳しい経済状況の中で子育てをする女性が多いのも現実。

また子育てに関しては、子供達は幸いなことに素直に育ってくれていますが、やはり目が届かず生活の基本的なところでフォローできなかったところが多くありました。
学校の遅刻の回数や、提出物の提出率や内容などチェックできることは色々あります。
うちに関して言えば小学校などで遅刻ギリギリの登校がとても多かったということは後から知りました。群を抜いて多かったとのことでした。これは他のことにも影響し、生活や勉強において良くありませんでした。これは高校・大学の入試に影響がありました。
これは学校と深く連携を取っていけばある程度解消できるかもしれません。シングルで難病の親を持つ子供の気持ちに寄り添うメンターのような存在の人がどこかにいれば成長において違ってくると思います。

子供達にとっては田舎から上京して一時期同居してくれた私の母がメンターに近いと思いっていますが、時代も変わり私の時の育て方と違っていて高齢の母は戸惑っていました。母の言葉が子供達のココロに届いていないことがあると感じて、母は私の前で泣いていたことがありました。
昨年母は亡くなりましたが、成人になった子供達と帰省の際などで話し合った時に、それを感じることがありました。

がん治療で私は治療がうまく行きましたが、今後再再発するかもしれませんし、亡くなるかもしれません。


がんに限らず病気と向き合うということは、「どう生きるか」ということに他なりません

子供達にもその覚悟のようなものを見せ続けるしかありません

私の連載は、がんなど重病に罹患した時にどういう思考でどうやってその時を乗り切ったかを、お伝えしましたがもう少しまとめた形で皆様に有益な情報としてお伝えできるようにしていきたいと思っています。

昨年設立したNPO法人ピュアスマイルスタジオ(PSS)は、がんの人たちに寄り添う団体です。私は理事としてこのブログをはじめいろいろ活動しています。下澤理事長は今回書籍で乳がんになった体験をもとに「がんになって~今日は治療だから休みます」を出版しました。是非ご覧ください。
第二弾として私も続けばと思います。

今回ひとまず「シングルパパの、仕事&子育て奮闘記」という形は終わりますが、何かご意見や聞きたいことなどがあればご連絡ください。不定期となるかもしれませんが私ができる範囲でお答えできればと思います。(PSSにご連絡。もしくは以下アドレスまでご連絡ください)

長尾聖生(ながおきよみ)
nagaokiyomi@gmail.com

PS
今年の夏休みは、母の一周忌法要が郡上八幡でありました。
私のがん闘病中に何度も見舞いに来てくれた大切な友人2名がこの夏に亡くなりいろいろ考える期間となりました。
30年来の友人で会社の経営で尽力してくれた島村昌実さん、犬山で小~高校まで一緒で部活でも汗流した同級生の竹内弘樹さん今までありがとう!

著:長尾聖生(きよみ) NPO法人ピュアスマイルスタジオ理事
私は21歳と19歳の大学生の子供をもつ、がん経験者のシングルパパです。私は東京都の公立中学校で非常勤講師として音楽の教師を30年以上続けて、株式会社オール・コレクトを作りTV番組や音楽関係の撮影・編集の仕事も同じく続けています。マライア・キャリーからオーケストラ撮影・TV撮影・CM・YouTube配信など守備範囲は広範!

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