妻のがん体験記2人目:【あるあるその1】本人より家族が動揺する
2021年7月5日
はじめまして、ホーリーといいます。
2年前、妻が乳がん宣告を受けました。現在は全ての治療を終え、半年後の術後検診の経過も良好でした。
今回、このような機会をいただきまして、自分の立場で書けることは何かと考えました。
役に立つ話も、専門的な話も特に出来ませんので、家族としての日常の中での気付きや思ったことを、【あるある】といったかたちで書いていこうと決めました。
がん患者本人の苦労を間近に見ている人間として、何か伝えられることがあればと思っております。
【あるあるその1】本人より家族が動揺する
妻が乳がん告知を受けた日、一番動揺したのは間違いなく私でした。
健康診断の結果が芳しくないのはいつものことで、しこりがあるのも分かっていました。
しかし、今年も再検査をして、経過観察となるものだろうと、良性に決まっているとどこか高を括っていました。
だから、「針生検」という言葉を聞いた時、明らかにいつもと違う様子を感じましたし、その時点で実はかなり不安になったことを覚えています。
「針生検」の結果を聞きに行く日、義理の父母、普段はあまり顔を見せない息子まで病院にやってきました。何ともなさそうな顔をしていましたが、今思うと息子もかなり動揺していたのでしょう。
前の診察がだいぶ押したようで、予定の時間を1時間過ぎても名前を呼ばれず、何とも言えない気持ちのままで待合室のソファに身を委ね続けました。よくある例えだとは思いますが、本当にその時は、時間の経過が恐ろしく遅く、とてつもなく長く感じました。
ようやく診察室に呼ばれ、結果を告げられた瞬間の記憶というものが実は残っていません。感覚として覚えているのは、頭の芯が痺れるような、妙な衝撃のみです。
その後の主治医との受け答えは割と覚えています。その日は忙しかったのか、あちらの口調がかなりぶっきらぼうで、最初からカチンときていました。この様なことから人によっては不信感が生まれ、主治医を替えることになったりするのだろうなあなどと考えながら、受け答えをしていました。
そこからの帰りの車での会話も正直よく覚えていません。恐らく何か励ますようなことか、これからの治療の予定的なことを確認するような会話をしていたんじゃないかと思います。
自分のことは全く思い出せないのですが、その時の妻の様子は何となく印象に残っていて、取り乱すわけでもなく妙に明るく振舞うわけでもなく、とても冷静だったなあと、そんな姿が思い返されるのです。
著:ホーリー
乳がんの妻を持つ、地方公務員