パパの、がんと子育て奮闘記2 ~がん告知から治療まで~

おはようございます。火曜日担当ピュアスマイルスタジオ理事の長尾です。

前回までのお話はこちらから

2013年11月27日にがんの検査をしました。その検査結果が出るまで12/4の約1週間の間の週末に、韓国で1泊2日の出張撮影の仕事がありました。大学の先生に対してインタビューがメインの比較的ゆったりした仕事。本来なら楽しくマッコリなどのお酒をたくさん飲むのですが、中咽頭がんにはのどに対する刺激物はダメなのでお酒は控えました。(たばこ、お酒はNG。結局私はお酒をその後6年間1滴も飲みませんでした) 韓国にいる時はまだ確定じゃないですが、お酒は飲む気にはなれません。結局みんなで初めの乾杯する時のビールだけにして食べることに終始しました。それはがんに打ち勝ってシングルファーザーとして責任をもって2人の子供を育てなければいけないという思いがあったからだと思います。

検査結果が出て、中咽頭がんの確定診断が告げられた時、私は不思議と落ち着いていました。慌てても状況は改善しないし、メンタルが悪くなると身体にもよくないので前向きに考えることとしました。万が一の時はそれまでよという心境でした。そうなったら楽かもという思いも一瞬頭をめぐりましたが、それはほんの一瞬でした。

私はすぐにやるべきことを紙に書きだして行動を起こしました。おっちょこちょいなので忘れないためです。 仕事関係と、子供の学校に連絡、区役所に出向いて医療費の高額療養費制度の申請(限度額認定書をもらう)、現在入っている保険が適用かどうか確認です。

高額療養費制度とは、同一月に高額な医療費の自己負担が必要となった際に、限度額を超えた分について払い戻しを受けられる制度のことで正式名称は高額療養費制度。自己負担の限度額は年齢や所得によって異なりますが、医療費が高額になっても月約8万程度の限度額で医療費が抑えられるというものです。 私はがん保険に入っていませんでしたので、入院治療費や勤務の保証はあきらめていました。しかし都民共済の総合保障2型月2,000円と、医療特約1口1,000円入っていたことを思い出し、問い合わせたら保障の対象となっていることがわかりました。(先進医療保障は150万までで、実際は300万かかるのでやめました)

学校の給与は、3か月以内の場合は8割保障されていましたので、助かりました。 これらにより、当座大きなお金が必要になることはありませんでした。しかし高額医療手続きにはこどもや田舎から上京したばかりの母には無理なので、入院までの間に私が行かないといけないので急いで出向きました。

私は公立中学校の音楽の講師の仕事(2校)とTV番組の撮影の仕事をしています。 学校は古くからの知り合いで信頼できる講師の人に声をかけて(曜日や時間数が可能か確認し)、学校に紹介。 引継ぎなどは主に電話とメールでやりましたが、知人がお見舞い方々病院に来てもらったので細かくできました。 撮影の仕事に関しては、デスクの方にすぐに事情を話しました。そして私の会社でいつもお願いしているカメラマンで、私がフォローしなくてもビデオカメラ管理・撮影データ納品という一番大切なことを信頼して任せられる方にもろもろお話ししてお願いしました。

そして次に、子供たちが通う学校の連絡です。息子は小学6年生、娘は小学4年生。電話で症状やこれからの治療内容、期間など子供たちの世話について話しました。母が上京してくれて身の回りの世話をしてくれることになっていたので、子供たちの食事や日常の生活に関しては安心して任せることができてそれは大変助かりました。母はこどもたちから「ひろちゃん」と呼ばれてとても良い関係です。

入院直前に世田谷の二子玉川の中学校最後の授業があり、無事授業を行いました。 子供達には「病気のため今日で授業はお仕舞い」と伝えるとビックリしていました。病名は「恋煩い」と言っておきました。信じた生徒はいませんが笑って暫しのお別れをしました。授業が終わるたび生徒が「短い時間でしたがありがとうございました。元気になってまた戻ってきてください」と言ってくれました。4時間目の授業が終わった時3年の元気のいい女子二人が給食なのに黒板にメッセージを書いてくれました。 すぐに消えてしまうけれど心に残る宝物です。

 

著: 長尾聖生(ピュアスマイルスタジオ理事)

私は21歳ともうすぐ19歳の大学生の子供をもつ、がん経験者のシングルパパです。私は東京都の公立中学校で非常勤講師として音楽の教師を30年以上続けて、TV番組や音楽関係の撮影・編集の仕事も同じく続けています。

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