妻のがん体験記2人目:【あるあるその2】~「善意」というものが分からなくなる①~

こんにちは。
ホーリーです。

前回までのお話はこちらから

妻が告知を受けた日から、特段何かが変わるわけでもなく、日常は不思議なほど穏やかに流れていきました。しかししばらくすると、その影響というものが少しずつ私たちの生活に「影」を落とし始めます。

 

その最初の「影」というものは、がんそのものがもたらすもの、体に変調をきたす症状や、目に見える変化というものではありませんでした。

 

第三者の、身内ですらない何者か達からの一方的な「言葉」というものが、妻の心を痛め付け、疲弊させていったのです。

 

妻は職業柄、SNSなどを通して自分を発信してゆくことを日常としており、がん罹患に関しても、同じ様に隠さず告知しておりました。そこには、今後仕事等で誰かに迷惑を掛けることになるかもしれないという、周囲に対する彼女なりの配慮もあったのだと思います。

 

しかしそれに対しての一部の反応が、本当に人としてどうかしているのではと思わざるを得ないようなものでした。内容としては、『病気を利用して目立とうとしているんだろう』的なこととか、『今のうちに客をこちらに全部渡した方がいい』であるとか。性的なことを平気で言ってくるような輩もおり、私からしたら人間として大事な部分が欠落してしまった『異常者』以外の何者でもない。

 

こういった輩の、それまで味方面というか理解者風情で取り繕っていたものが、こうも簡単に解れて、その汚い中身が露呈するものかと、信じられない気持ちになったことを今でも強く覚えています。それ以上に、こんな連中を信用して、仕事を任せていた妻の気持ちを考えるととても辛くなりました。

 

ただ、実はこんな『異常者』達よりも、実際はるかに厄介だったものがあります。

 

それは、「善意」という名の下に発せられた、あらゆる類の言葉。

 

「同情」「叱咤」「激励」「助言」。中には自分がドラマの主人公になってしまって、勝手に悲観的になったり感極まったり。これらが全て、受け取り手の気持ちを全く配慮しないかたちで、日々無数に飛んでくるのです。これには妻も私も非常に困惑させられました。

 

今思えば、この「善意」という大前提に基づいていることこそが、相手の『無意識の意識』を引き出してしまうという。もっと言えば、がんというものに対する「思い込み」や「間違った認識」、もしかしたら本人も気づいていなかった「差別」の意識までも引き出し、それが何の悪気もなく、言葉の矢としてこちらに向けられる原因だったんだなと、分かる気がするのです。

 

(②に続く)

 

著;ホーリー
乳がんの妻を持つ、地方公務員

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