乳がんHAR2タイプ

2021年4月2日

こんいちは。ピュアスマイルスタジオの下澤です。

今日は、私のがんについて書いていきますね。『左胸乳がん』です。種類は、浸潤がんのHAR2タイプです。乳がんの10%の人が、このHAR2タイプのようです。

告知までの流れ

毎年人間ドックを受けていますが、数年前からマンモグラフィーにより指摘されるようになりました。E判定!要精密検査!B判定ぐらいなら再検査も行きませんが、さすがにEとなるとね。

さて、どこの病院に行けばいいの?

加入している保険の付帯サービスを使いました。電話のサービスなのですが、状況を話すと、乳がんでの実績のある病院を3つ教えてくれました(確かに他のがんの実績があってもしょうがない)その中で、行きやすいところを選びます。その病院の電話番号まで教えてくれました。

すぐに予約もとれましたが、再検査の結果、「何かあるけど大丈夫」。悪性ではありませんでした。
ただ、人間ドックでは毎年同じことで指摘を受けるので、マンモグラフィー、超音波検査に関しては、この病院に来てしまった方が楽だと教えていただきました。

案の定、翌年も同じでした。ただ、やや心配なので半年に一度の検査をすすめられました。でもみなさん、半年に一度、あのマンモグラフィーやりますか?笑

半年どころか、次の検査まで1年半も空いてしまいます。同じように指摘あり。
その結果が「乳がん」でした。

ショックでないと言えばウソになりますが、3年目ですからね。どこかで覚悟はできていたのかもしれません。
一つ、私の中の不思議。悪性になる前にどうにかならなかったのでしょうか・・・。

 

治療までの流れ

なんというか、ごく普通に、「風邪ですね」と同じように「悪性でした」と言われます。驚いたことは、病院では治す話しかしません。「タイプがこれなんで、この薬を使ってみましょう」的な話が始まります。この診察までに待合室での待ち時間2時間以上!こんなにがんの人がいるんかい!衝撃でした。

ウイッグをつくるように言われました。あとは、仕事はどんどんしてください←病院を出ると「今は仕事どころじゃないでしょ!」というギャップに悩むことになります。

2019年3月5日にがん告知を受け、4月16日から治療開始です。

よく、ステージは???と周りに聞かれましたが、がんによっても区別が全く違うし、ステージⅣから生還された人も多いし、ステージⅡで亡くなる人もいます。

乳がんの場合、大きさとリンパ節への転移があるかどうかでステージが決まります。リンパ節への転移というのを、手術のときに一緒にリンパ節を切って確認するので、それまでははっきりしたことが分かりません。ただ、私の場合は、大きさからはステージⅡ、リンパ節への転移があればステージⅡbという説明がありました。乳がんのステージⅡの10年生存率は86.1%。けっこう低いんだ!という印象です。

 

治療法

同じ乳がんでも、種類により、大きさにより、進行度により、治療法は変わってきます。全員が抗がん剤治療というわけではありません。

私の場合のことしか書けないのでご了承くださいね。まずは、全身治療である化学療法(抗がん剤治療)を行いました。抗がん剤にもかなり多くの種類があります。吐き気止めの点滴をしてからエルピシン、シクロフォスファミドを投与し、細胞の成長を止めたり遅らせたりします。最後に生理食塩水。これを2週間に1度、行いました。さらに、これらの点滴の45分前に錠剤の吐き気止めを飲むんです。

テレビドラマで見るような、オエーッというシーンはありませんでした。もちろん、もっともっとキツい抗がん剤で吐き気と闘っている人もいると思うのですが、私は大丈夫でした。

一回目は、さすがに怖かったですね。でも、投与から4日後、趣味でやっているダンスの舞台に立っています。わりと平気!うん、全然平気!こんな感じで私の治療はスタートしました。

2ヶ月後からは、薬が変わって毎週投与になります。この後に書きますが、パクリタキセルという抗がん剤が本当に厄介でした。
でも、この時点の検査では、「がんは、ほぼほぼ消えています!」という見解。どこにがんがあるのか分からなくなってしまうため、がんのある場所にクリップを入れます。もう痛いのなんの!って 笑 でもそれ以上に「がんは、ほぼほぼ消えています!」が嬉しかったような気がします。

8月の末にパクリタキセルの投与を終え、1ヶ月体を休めます。この時点での検査では、「がんは、完全に消えました。今人間ドックを受けたらA判定だよ。ただ、これで終わりとならないのが、がんなんだよね」と言われました。

まぁ、「がんがなくなったのに、なんで手術するんだー!」なんて、外野にはヤンヤー言われましたけどね。もう返すの面倒になっていました 笑

9月末に手術。手術にも種類がありますが、私は、「乳房温存術」全摘していないんです。だから、そこにがんが再発する可能性があります。形も崩れます。凹む感じ?ただ、温存でいい!とドクターも言ってくれたし、なんとなく手術が上手な人かな~という直感もあり、お胸は残すことにしました。

手術は1時間半。入院は3日でしたかね。傷を自分で見ますか?と看護師さんに聞かれました。「あ、こんなものなのね」という感想です。ここに書いたら怯えてしまう人もいるかもしれませんが、手術の前日に乳首に注射をします。リンパ節にがんがあるか、手術のときに確認しやすくするためのようですが、そんな注射のことなんて聞いていませんでした。死ぬほど痛いです。涙を流して泣くほど痛いです。

また1ヶ月体を休め、11月1日から放射線治療がスタートしました。25日連続で通います。片道1時間半、治療時間3分。根治を目指すために何とか通い切りました。

12月半ばから、ハーセプチン、パージェタという、分子標的と呼ばれる薬を3週間に1度15回投与します。気が遠くなりますが、粛々と、淡々と終わりを目指して続けました。

2020年10月1日に終わりました。がん治療は、長くてお金がかかります。

 

副作用は?

みなさんも一番気になるところでしょうか。副作用も人それぞれです。

最初にも書きましたが、オエーッ!という吐き気はありませんでした。少し、胃が気持ち悪い・・・というときには、我慢せずに処方された薬を飲んでしまいました。すぐにスーッとよくなります。食欲も、私の場合は変わりませんでした。少しつわりと似ている?気持ち悪くなるから何かを食べてしまう・・・。

脱毛は、4月16日に抗がん剤を開始して、5月12日の自分の誕生日にはウイッグでした。少しずつ抜けていくのがイヤで、抜いちゃいまいた。力を入れなくても抜けてしまうのが悲しい・・・。バリカンで剃ってしまう人もいるみたいですよ。そのくらい、落ち武者的な自分は見たくないものです。ちなみに、眉毛もまつ毛も鼻毛も抜けます。

味覚障害が出てきます。大好きなチョコレートは味がしません。味のしないチョコレートを想像してみてください。美味しくないです。カレーはヨーグルト味に感じます。それこそ気持ち悪い味です。味の分かるものを探しました。私の場合、ソース味は分かるようで、たこ焼きばかり食べていました。

口内炎が出来まくります。そして、親知らずも腫れてきます。親知らずは抜いておいた方がいいですよ。

倦怠感は、初めての感覚。足にオモリがついているように感じます。抗がん剤の後半、とくにしんどかったです。階段が大変なので、駅ではエスカレーターを探します。動悸も酷く、少し歩くと休むようになります。

手足のしびれは、パクリタキセルを終えて1年以上経った今でも続いています。関節の痛みや、足の裏の痛みは、いつの間にか治っています。一番しんどい副作用は「しびれ」かもしれません。分かりやすく書くと、手に関しては、本がめくれない、ペットボトルのフタが空けられない、料理の際に火傷しやすい、モノをよく落とすなど。情けない感じです。足に関しては、感覚がなくなります。正座をして立った時のイメージ?パンプスが履けません。スニーカーもやわらかいものしか履けません。よく躓きます。

テレビドラマで見るような、分かりやすいオエーッよりも、地味だけどしんどい副作用がたくさんありました。私自身、副作用と言えば、吐き気と脱毛ぐらいしか知りませんでした。

 

私の病気紹介というのも変ですが、改めて書いてみました。それでも仕事はしていたし、仕事をしていなければ、もっと副作用を感じていたかもしれません。

これからも、みなさんにお役に立てる情報を発信していきます。

 

記事: 下澤純子

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